心理学

多けりゃいいってもんじゃない!選択肢が有り過ぎることが不幸になる理由

SAIKORO

現代の日本は、さまざまな自由が認められています。結婚、職業、学習、ディナーのお店選びからお菓子の品目まで様々です。このように見ていくと、私たちの生活には数多くの選択肢が用意されています。これは一見、豊かで自由の象徴のように見えますが、選択肢が多すぎることが必ずしも生活の質の改善や幸福につながらないと説いた心理学者がいました。今回は、バリー・シュワルツの選択肢が増え過ぎたゆえの不幸について解説していきます

選り取り見取りな現代社会

 現代社会は無数の選択肢が用意されています。電話やガス、電気などはかつてはほとんど消費者が選ぶ必要が無いほど、選択肢は限られていました。しかし今日では、さまざまなスマホ事業が展開されたり、電力やガスの自由化により条件を逐一見比べる必要が出てきています。仕事に関しても、かつては生涯一つの会社で働くことが美徳されていましたが、転職することが当たり前になっています。このように、現代社会は様々な場面で選択と決断を迫られていると言えるでしょう。

選択肢が多いことの弊害

 選択肢が増えることは、さまざまな可能性に挑戦するチャンスとなりますが、弊害も出てきます。

・一つ一つの判断に手間がかかる

・間違いが起きやすくなる

・間違いが起きた時の心理的影響が深刻になる場合がある

 スマホを例に挙げてみましょう。現在、スマホ料金を巡って数多の会社が値下げ競争を始めています。消費者である私たちは、その情報をもとにどの会社のスマホを契約するか判断していくことになります。このような複数の選択肢が用意されていると、選択する側にも間違いが生じやすくなります。これが、スマホであれば、よりよい方に乗り換えれば済む話ですが、結婚や進学先など一生を左右する選択肢の場合はそうはいきません。逆に、選択の余地があったにもかかわらず間違いを引いたことに後悔の念を抱きやすくなるとシュワルツは説いています。

「最高」を求める人、「ほどほど」を求める人

 シュワルツは人が決断を迫られたとき、常に「最高」の選択をしようとする人と、「ほどほど」の選択で十分という人に分かれるとしています。シュワルツはこれを「マキシマイザー」と「サティスファイサー」と呼んでます。

 「マキシマイザー」とは、どんな状況でも最高のものを手に入れなければ満足しない人です。服を選ぶ時もパートナーを選ぶ時も候補の中から様々な面を見比べて決めなければ気が済まないとしています。

 一方で、「サティスファイサー」は、自分なりの尺度や基準があり、それに叶うものであれば良しとする人のことです。自分の満足する基準のものであれば良く、最高のものを追い求める信念は無いとしています。

 シュワルツは、様々な場面で選択を迫られる現代では、決断に掛かる労力を考えると、マキシマイザーよりもサティスファイサーの方が良いとしています。研究結果からもマキシマイザーはサティスファイサーに比べてうつ病にかかりやすく、幸福度や楽観性も低い結果となったそうです。心の安らぎと生活の満足感を求めるなら、「ほどほどに満足できるところ」で選択することが良いでしょう。

現代人は満足しにくい環境にある?

 現代社会では、テレビやインターネットの普及により、膨大な数の他者と自分を比較できるようになりました。その中で、自分よりも裕福な人や幸福な人を見る機会も増えてきています。シュワルツによれば、この「上方の社会的比較」が、嫉妬や敵意、ストレス、自尊心の低下などの原因になりやすいとしています。対照的に、「下方の社会的比較」の場合には、恵まれない人に比べて自分がどれほど幸運であるか分かるので、前向きな気分となり気が楽になりやすいとしています。

 このように、情報が増えれば比較する機会も増えるので、現代人は様々な状況で自分と他者を見比べることが増えたのではないでしょうか。そういった意味では、現代人は「自分の満足できる着地点」を見失っているのかもしれません。

SAIKORO

現代社会では、情報量や選択肢に惑わされることなく、自分なりに満足できることを見つけておくことが、心の安らぎに繋がるかもしれませんね。

クロ

様々な情報がすぐに手に入るようになって世の中便利になった反面、人間の精神衛生上良くない面も増えているということだな

SAIKORO

そうかもしれないね。情報社会の現代では、意図的に情報を遮断するスキルも必要になってくるかもしれないね。

コロ

外で遊べばいいんじゃないかな!

SAIKORO

それはいい考えだね